「ひれ伏したがる」日本人 ~ある音楽評論を読んで考えたこと
久しぶりに「なるほどなぁ」と、うならされた音楽評論がこちら👇
『Adoの歌唱力に「うますぎる」相次ぐ絶賛の声も…最近の日本のヒット曲が“脆い”と感じる理由』(石黒隆之)
石黒氏のこの文章によれば、
AdoやKing Gnuに対し、その圧倒的歌唱力を強調し、そのテクニックを「全部乗せ」で陳列する彼らの音楽は、あたかも「テーマパークのアトラクション」、「刹那的に酩酊感を味わわせるスペクタクル」、「難しいゲームを攻略しているよう」であると。
それは、聴いていてスリリングで実に面白いのだけど、果たして音楽としてはどうなの?と。
AdoやKing Gnuも私は好きですけど、この指摘はうなずかざるを得ない。
興味のある方、ぜひ読んでみてください。
・・・そこから発展して、音楽からは少し離れて、自分なりに考えたことを。
最近のテレビの音楽番組の傾向として、なぜだか知らないけど、圧倒的な歌唱力や技術に、聴いている側が「ひれ伏したがる」ところがあるなぁ。。。と感じてました(変な言い方ですけど)。
島津亜矢とか、丘みどりとか、生粋の演歌歌手なのに、高難度のJ-POPを軽々と歌いこなす人とか。たしかに聴いてて見事としか言いようがないし、圧倒されます。見ていても楽しい。
それは確かにそうなんだけど。
自分的に、まだうまく言語化できない話ではあるんです。
ただ、日本人のかなり強固な傾向、特徴として、「天賦の才能」とか、あるいは「東大出身」とかを、妙にあがめて、ひれ伏したがる。
そんなことを、ずっと前から感じていたし、どうにも強い違和感を覚えます。
このあたり、今後も考えを深めていき、また書きたいと思います。
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