「一行自己紹介30」(→実際は40) やってみました
さわとんこと澤登 和夫さんがやっていた「一行自己紹介」を、私もやってみました。
30まで書いて「あ、足りない💦」となって、40まで勝手に伸ばしてしまい。。。
(しかも一行が長いですね💦)
興味のある方、お読みいただければと・・・。
来年出場予定の「サムライ講演会」の下準備にもなったかしら?
1.1975年11月6日生まれ。青森県五所川原市の病院にて出生。
2.青森県小泊村(現中泊町)にて育つ。内気な子供だったな。テレビが大好き。笑うの大好き。
3.孫としてとても可愛がられた。父の実家北海道、そして地元小泊村では、特に祖母に。
4.保育園の昼寝が大嫌いで、園の外の雪を積み上げた山に登って逃げた記憶あり。
5.けっこうわがままな子供で、短気だった。友達と遊ぶことを好まず、一人でいるのが大好き。
6.小2で、祖父が自殺(当時は病気と教えられたが)。人の死に初めて直面。大変な衝撃。
7.祖母には特に可愛がられた。ピアノを親戚から調達して習わせてくれた。音楽好きはここから。
8.小4ぐらいから勉強好きに。祖母の家の百科事典など一人でパラパラ読むのが好きだった。
9.小5、小6で、学校に行くのがしんどくなる。不登校にはならなかったが休むことも多かった。
10.勉強ができたので、クラス委員長などさせられるも、これがまた合わず。体調を崩す。
11.中学校の合唱コンクールは、常にピアノ伴奏(結局一度も他のみんなと歌わず)。
12.定期テストで科目別順位1位になると、祖母からクラシックCD1枚のご褒美。頑張った。
13.当時バブル景気終焉直前。景気も良かったから、村の雰囲気も明るかったと記憶。
14.高校受験は苦しむも、第一志望に加え、実力試しの函館ラサールまで合格。嬉しかった。
15.県下一の進学校に入学。環境が変わりすぎて、2ヶ月ほどうつに近い状況に。痩せた。
16.中学校までと勝手がかなり違った。周りがみんな優秀。成績も中学より伸び悩む。
17.なぜか思い立って生徒会長に立候補。あいにく落選。周りの空気への反発もあった。
18.大学受験には苦労。京都大学に入りたい気持ちがなかなか捨てきれず、二浪もする。
19.仙台で一浪、東京で二浪目。親に苦労をかけたという思いの原点は、ここ。
20.結局、中央大学進学。弁護士or裁判官になりたいという思いが強くて、法律学科入学。
21.大学時代は、住居費不要に惹かれ、代ゼミ生のための寮に住み込みで働きつつ通学。
22.大学の自由すぎる生活を満喫しすぎ、1年留年。また親に迷惑を。。。
23.寮では寮生の生活指導的な役割。基本嫌われる場面が多い。懐いてくれた子もいたが。
24.寮から急に追い出される。企業(代ゼミ)の理不尽さに直面。ここから企業不信が芽生える。
25.貯金も無く、借金を10万円する。これが3年ぐらいして200万近くに成長。
26.自分に自信がなく、オフィス勤務ではなく工場勤務のバイトのような生活。そのため借金増。
27.司法試験を目指していたが、そもそも全く勉強できていなかった。生活するだけで手一杯。
28.2001年、祖母亡くなる。何一つ恩返しができないまま失った、という思いは今も強い。
29.2005年ごろ、自分で調べて特定調停を簡裁に申請、債務整理。4年近くかけて完済。
30.彼女は32歳にして初めてできる。1年半で別れるも、その1ヶ月後に別の女性と交際開始。
31.司法書士試験勉強を通じて知り合って交際開始したが、7年付き合って破綻(同棲せず)
32.今思えば自分の行動力の無さが破綻原因の一つ。試験合格に向けて勉強しなかったから。
33.交際中に母親がくも膜下出血で一時危篤状態に。でも九死に一生を得る。
34.その3年後今度は母に初期乳がんが発見。それを契機に司法書士試験勉強の卒業を決心。
35.派遣社員から即その会社(保険代理店)の正社員に。指導役が自分を取り立ててくれた。
36.しかしその指導役がパワハラの張本人。2年半、パワハラの嵐。毎日が暗い気持ちだった。
37.指導役の上の課長、部長が理解ある方で、別部署へ異動となる。4年間、嵐は一応収まる。
38.パワハラ部署よりはラクだったが、元うつ病の同い年同僚女性と相性が最悪で、また苦労。
39.営業部門への異動を契機に、会社は休職。2024年3月退職予定。今が一番平穏な毎日。
40.パワハラの最中からの学び(中島輝さん、松田隆太さん、さわとん他)を生かし、今は起業準備真っ最中。
以上です!!!
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